地震からはやいもので10日が過ぎようとしています。
私は今、仙台市若林区にある、夫の実家にいます。
こちらに避難してきたのは16日。
原発から30キロ圏内まで屋内退避勧告がでて、いわき市の一部の地域も圏内となりました。
自宅は40キロ強離れてはいますが、風向きからもかなり強い放射能の値が検出された時間もあり、自宅退避して原発の動向をうかがっていました。
実家は震災後、停電していたので、電気が復旧してからテレビをみて、かなり衝撃をうけたようです。
すぐに仙台に避難してくるようにとの説得。
那須の避難所にいこうかと漠然と考えてはいましたが、震災の被害が大きい仙台にいこうという選択肢はありませんでした。
避難を決めた日、川崎の親戚や山形の友人が避難しておいでって心配して連絡をくれて、涙がとまらなかった。
ガソリンや食料の問題はあったけど家族でがんばればなんとかなると仙台の実家に避難することにしました。
ガソリンはあいかわらず厳しいですが、物資は良くなってきているような気がします。
いわき市は3つの被害を受けていると市長が話していました。地震による津波の被害、原発による被害、そして風評被害。
放射能を恐れて物流がストップしているそうです。
屋内退避勧告圏内には入りましたがいわきの一部です!いわきは東京23区をすっぽり覆うほど広いんです。いまだに自宅のあたりは水道も復旧してないし、ガソリンが入ってこないために避難できない方もいます。放射能の数値も低めに安定してきてるようです。
早く安心して戻りたい。
夫は避難翌日から仙台の会社に出勤しています。昨日他県に異動の打診もありました。ただこんなふうにいわきを離れることはしたくない!いわきに残れるように、話してみると言っていました。
このことを書こうとすると、携帯からということもあるのかなぜか三度も書いたものがUpできませんでした。まだ書いちゃいけないのかなあと不思議に思ったり。
仙台は原発のことは心配だけど、こちらもあまりに目の前の出来事が大きすぎたこともあり、今のことでみんな精一杯です。
今は毎日毎日を生きる、そのことだけです。
震災復興にあたり、現場で頑張ってくださっている方達、自衛隊・消防・警察… 多くの人々が総力をあげて、頑張ってくださっています。
今は信じてまつしかない。
またいわきに帰れる日を信じて…
amies